В ночь на 23 мая, пробовал выражать словами свое впечатление о конце 『ヨコハマ買い出し紀行』/«Иокогама кайдаси кико». Сначала я не знал, как описать поток чувства. Ища слово как будто стонать, услышал внутри меня Рахманинова. Сразу поставил диск второго концерта для фортепьяно с оркестром. Тогда, разные выражения один за другим пришли, благодаря чему я смог написать свою мысль (Нет статьи по-русски? Чуть подождите ... ). И сегодня, я доджен был написать одно письмо, а четыре концерта помогло мне привести в порядок в голове у меня.
Музыка С. В. Рахманинова, может быть, на одной волне с мелодиями в моей крови (По маме, моя колыбельная песня была Энка, японской народной балладой, которую поет папа). Говоря точнее, я люблю и слушаю его так часто, что моя кровь запомнила мелодию.
Кто С. В. Рахманинов?
С. В. Рахманинов «концерты для фортепьяно с оркестром»
23日の夜、『ヨコハマ買い出し紀行』の終わりを受けて、僕は自分の思いを言葉にしようとしていました。はじめは、あふれる思いをどう書けば良いのか分りませんでした。呻くように言葉を探していると、自分の内からラフマニノフが聞こえてきました。すぐにピアノ協奏曲第2番をかけました。すると、様々なことばが次々とやって来て思いを文にまとめることが出来ました(何、ロシア語の記事がありません?もうちょい待って…)。今日も、とある書きものをしないといけなかったのですが、4つの協奏曲が頭の中をまとめるのを助けてくれました。
ラフマニノフの曲は僕の血を流れる音とよく似ているのかもしれません(母によると、僕の子守唄は父の唄う演歌だったそうです)。正確には、好きでよく聴いているので血が覚えてしまったのでしょう。
ラフマニノフ、って誰?
ラフマニノフ ピアノ協奏曲集
3 件のコメント:
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1)あふれる思い
訳文だと「洪水する思い」で意味は分かるものの、日本語原文の詩的な意味が伝わるかどうかは疑問です。ロシア語にある表現では、нахлынувшие чувства というのがあるので、これを使うのも一つの手です。とにかくロシア語の本を多読して(好きな分野で構いません)、その中から自分で表現を収集していくのがロシア語上達の秘訣です。このサイトのようなロシア語のアウトプットも重要ですが、インプットも負けず劣らず重要です。
2)23日夜
ночь は午後10時ごろから午前4時ごろまでを指します。そのためロシア語では в ночь с 31 декабря на 1 января 12月31日から1月1日の夜中にといった表現が使われます。午後5時から10時ごろなら вечер です。どうしても ночь が使いたくて、たとえば24日の午後11時ごろと仮定した場合、в ночь на 24 мая というのはロシア語で違和感のない表現です。
3)Рахманинов
これは Рахманинова でないと、ラフマーニノフが主語になってしまいます。
4)ставил
具体的な動作で、しかも生き生きとした状況を示すのですから当然完了体です。それでないと、いつもCDをかけている、あるいはかけているところだということになって日本語原文と一致しません。
5)смог написал
смог написать のミスタイプでしょう。
6)четыре концерта помогли
間違いではないでしょうが、一応 помогло と中性にするのが基本です。これは双数という概念と関係があります。
7)приводить
「整理するのを助けてくれた」ということでしょうから、完了体でないとおかしいと思います。
8)музыки Рахманиновым
確かにラフマーニノフの音楽(楽曲)は一つではありませんが、музыка Чайковского のような表現しか聞いたことはありません。ラフマーニノフを造格におくのも日本語に引きずられているような気がします。
9)血に刻み込まれている
これを訳文のようにしてしまうと、詩的な(あるいはファンタスティックな)表現は別にして、どうやって血という液体に刻むことができるのかとロシア人なら言いそうです。ロシア人はわりに理詰めです。私の知っている類似の表現では врезалось в память というのがありますが、вопрос открыт というところでしょう。
以上 さとう
静かな音楽の似合う漫画でしたね。
本当に素敵な作品をありがとうといいたいです。
でも、あの世界が見れなくなってしまうのは本当に残念です。
サイドストーリーとかでもやってくれると、とても嬉しいけど、期待しちゃっても大丈夫なのかなあ。
さとうさん、アルさん、コメントどうもありがとうございます。このところコメントに対する反応が遅れてしまい、ご無礼いたしております。熱心にご覧下さっているのに申し訳ありません。
>さとうさん
>インプットも負けず劣らず重要
やはり書く時に、「あの時読んだこの表現使お」と思い出しますもんね。読んだことも無いものは聞き取れない、ということは知っているつもりですが、書くことにおいてもまた然りですね(昨日付けの記事を書いていて実感しました)。
>ラフマーニノフ
以前レポートで「フルシチョーフ」、「ブレージネフ」とロシア語のアクセントを強調して書いたら、気持ちは分るけど慣例的に「フルシチョフ」、「ブレジネフ」としといた方がええよ、と先生にたしなめられたことがありました。よぉ考えたらここは個人サイトなんやし、「ラフマーニノフ」と伸ばしても問題ないんですね。直しとこ…
>アルさん
>静かな音楽の似合う漫画
といってもラフマーニノフは似合ってないように思います(広すぎ深すぎ)。ザバダックでもあきませんね。アニメ版ではショーロクラブでしたか、ギターの綺麗な曲が使われてるようですね。何にせよ、詩みたいな漫画ですね。ひとことやひとこまの情報量が半端でない;漫画とは本来そうあるべきだそうです。
>サイドストーリーとかでもやってくれると
ん〜…あれほどの作品を送り出した以上、生半可な補足では却って顰蹙を買ってしまうでしょうね。それに芦奈野氏にとっても『ヨコハマ』の枷はとてつもなく重いものでしょう。果たしてその呪縛を砕いて新たな世界を世に問うことが出来るのか、心配になってきますね。
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