4.18.2017

備忘録:自分は正しい!、ことばは独り歩きして力を持つ

 自分はうそつきである、自分の内に悪があるとの自覚を欠く行動が最も腹立たしい。神を殺したその後の世代(神は死んだ、マルクス的な意味での無神論:神などいらなくなる)。恐れのない世代、自分は正しい、自分が間違っている可能性を配慮しつつ行動しない。
 「人は皆うそつきだ」(詩編116:3)と言った時、ダビデが自分も含めてそう言ったのなら実に興味深い(発言の瞬間はたぶん違うと思うけど、発言者が発言者だけに、いつかその自覚は持った可能性はありそう)。だから贖いや他力本願といったものが必要になる。
 自分のうちに悪があるとの自覚=恐れを常に持つべき→こういう意味での錨。錨としての宗教や神を取り除いてしまった世界というのは、一見自由なようで、錨も舵も帆も取り去った船のごとし。内海で波風もなく、船体がニミッツ級空母とかタンカーなみに大きければ一見なんともないが、内海でも何らかの流れはあるわけで(明石海峡とか鳴門海峡だって内海ですよ)実際には制御できずに流されているだけ。いやいや、自分たちにはオールがあると屁理屈を言ってみたところで、やはりオールだけでは外洋の大波を越えられない(オールで動かせるガレー船にしたって、本来は内海での使用を想定したもので帆だって備えていたはず)。
 「かつて信仰は地上にあった」と書いた萩原朔太郎は、物質に目が眩んで霊的なもの心の世界を忘れた人間を憂えたものかどうかは知らない。そうでないとしても、ことばは独り歩きして、それ自体が受け手に影響力を持つ。「人は皆うそつきだ」にしても「かつて信仰は地上にあった」にしても、たぶん僕が考えているような意味で両者はこのことばを発信してしないはず。それでも、この2つのことばが僕の記憶にあって、考えるきっかけ、感じるための種(←ヨコハマ買い出し紀行)をくれた。その意味で、それぞれのことばには力がある。発話者の口を離れた時点で、ことばそのものが力を持つ。この不思議な力のことも含め、昔の人は言霊と名づけて自戒としたのかもしれない。

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