3.29.2018

【疑問】業績を成功の数ではなく、絶対値でカウントできないものか

【趣旨】何をどうやって失敗したかという経過は、共有知と呼ぶに十分値するものと考えます。
【本文】
1 「これだけはやってはいけない」を共有する
(1) 学術研究の世界では、研究成果を論文として発表することが目に見える具体的な業績とみなされます。しかしながら、発表する研究成果は果たして成功例だけでよいのでしょうか。旋盤工で作家の小関智弘さんは「現場は宝の山」と書かれています(小関智弘「ものづくりの時代:町工場の挑戦」NHK出版、2002年)。現場には成功例以上に失敗例がたくさんあるはずです。
(2) 「AをBすればCとなる」という仮説に基いて実験をしてみたところ、「AをBするはずだったのに、実際にやってみたらDという、やってみるまで分からなかった要素が邪魔をしてEという結果が出た。だからこのアプローチは使えませんよ」といった、何をどうやって失敗したのかということも大切な共有知のはず。こうした失敗談を公開すれば、「いや、Dという要素も曲者ですけれども、Fという切り口から眺めますとGという要素もクリアすべき課題ですからお忘れなく」とか「Dは確かに邪魔ですけど、Hという要素をぶつけてやると緩和できるのですよ」とか「DをHで緩和しても、得られたのは結局Iでした。うちはCが欲しかったのですが、IはIで、JとかKという方向で将来性がありそうです」といった助け舟をお互いに出せると思うのです。それを基に成功できれば、いつどこで誰の手柄になるかはともかくとして、人類全体ではプラスになります。
2 「謙遜(humility)は栄光に先立つ」(箴言15章33節)
(1) 行動した結果の失敗というのは、それ単独で見た場合は確かにマイナスだとしても、何らかの成果を得ようとして動いたことは間違いない訳ですから、動いたことそのものを絶対値として業績にカウントしても良いと思うのです。
(2) 例えば、バッタ博士の前野ウルド浩太郎博士は(学術論文の中ではなく一般向けの「バッタを倒しにアフリカへ」光文社新書、2017年の中で、ですが)失敗談を共有してくださっています。バッタの飼育ケージを置いた場所は内陸だったはずなのに、実は潮風がそんな遠くまで届いていたためにケージの金網が腐食して使えなくなったこと、ゴミムシダマシの行動パターンを調べようと野外観察を始めたところ、天敵が検体を捕食してしまって苦労されたことなどなど。その他にも観察容器の用を足すものはないか!と試行錯誤されるくだり等は、同業者はもちろん全然畑の違う僕でも強く記憶に残るくらいに有益な情報だと思います。それに、「バッタを倒しにアフリカへ」光文社新書、2017年は学術論文ではないにしても、単著としてカウントされるはず。
(3) 例えばの話ですが、どこかの企業の開発部なりどこかの研究所なりの業務報告のうち、何かをやって失敗した部分だからといって、どうせこんなものは実らなかったのだから持ち出したっていいだろう…と外部に漏らしたりしたら大変な騒ぎになるはずです。少なくとも、どこが何をどういう人員体制でどこまでやっているのかは(見る人が見れば)分かるわけですから。してみると、たかが失敗談されど途中経過なのです。もっとも、同じ失敗を「我が恥」と自分や身内レベルだけで見るのか「人類全体の役に立つ成果に至る途中経過」と広く捉えられるのかはセンス次第ですけれども…(了)
【なんでこんなことを思いついたのか~その1:今日のお昼休みの会話】
A: 派遣法が改正され、非正規労働者が同一の職場で同一の業務に3年以上継続して従事する場合、就労先はその非正規職員を正規職員として採用することが義務化された。この制度は本来非正規労働者の権利を守ることを目的としたものであったはずだが、実際には従来非正規のままで更新できていた契約を打ち切らざるを得ないような状況も生じている。
B: 研究機関でも同様の事態が生じて問題になっている。例えば非常勤研究者を雇う余裕はあるが正規職員を雇えるほどに余裕がない研究機関で、従来は非正規の契約のままでの連続更新が可能だったところ、派遣法改正に伴って契約を打ち切らざるを得なくなっている。そうした状況でも昨今は「●年間で論文●本!」という風にとにかく業績の数が求められるため、追い込まれた研究者がデータを捏造してしまう恐れがある。
C: それでは、「ある仮説に基いて実証実験をしてみたところ、実はまるでダメだということが明らかになった」という内容をきちんとまとめたものも業績として認めればよいのではないか。
A: いや、それを認めてしまうと誰もがその手口に逃げてしまって収拾が付かなくなる。
B: そういう谷間で研究費を不正流用するような奴はいる。しかしそれを防ぐためにギリギリ締め上げた挙句、サイエンスやネイチャーといった世界の一流誌に載るような研究ができなくなるというのもいかがなものかと思う。
【なんでこんなことを思いついたのか~その2:父方の祖父】
(1) 父方の祖父は中国から復員後に僕の実家の家業の鉄工所を興したのですが、経営と営業の面で長くタッグを組んだ父から、祖父とのバトルの話をあれこれ聞きました。その中に、祖父は失敗した試みを再現しようとして困った…というエピソードがあります。
父:何しとん?こないだそれやって失敗したのに何でまたやるん?
爺:だからまたやるんや!
父:勝手にせい!(このおっさんはホンマにもう!うちは首が回らへんのに…)
父の僕に語って曰く、その当時は祖父の意図がさっぱり読めなかったが、自分(父)も当時の祖父と同じ歳になり、「あぁ、親父は何がどうなってどこで失敗したのか、その過程を確かめたかったんやな」と思う。
(2) 父は僕と同じく話し好きな人で、鉄工所の経営者だけあって色々な引き出しのある人です。父と祖父の間は色々ありまして、愛憎悲喜こもごもといった関係です。それでも、祖父が製造現場に立てなくなってついには鬼籍に入ってからも、父は事あるごとに、祖父にあんなことやこんなことをさせてあげられる機会があったのになぁ…と申し訳なさそうに話してくれます。「親父(祖父)は生前こんなアイデアやあんなアプローチがあるということを常々口にしていた。例えばアルミをダイカスト(圧力鋳造)で成型する場合に、アルミ合金に金を含有させてみてはどうかというアイデアを口にしていた。金を含ませたアルミ合金は、親父の表現ではよく「濡れる」ので、金型に溶湯を圧入する際に既存の方法よりもより確実に隅々まで行き渡らせることができて中味の詰まった製品ができるはずだ、と。とはいえ、金のような値の張るものをおいそれと用意できるはずもなく、結局その案は試せず終いになってしまった。うちの業績がもっと好調で自分(父)にももっと資金を工面できる力があれば、色々なことを思う存分実験させてやれたのに…」といった具合です。
(3) そんな祖父なら、失敗談をとてもありがたがったと思うのです。実際にどんな顔や態度で応対するかはともかく。少なくとも「聞いて忘れる」ことはなく、「しっかり聴いて」忘れたふりをすることはあっても、何かしらの形で我がものにし(たつもりになって何かプラスして、オリジナル以上に盛大に自爆し、ひとしきり怒りまくった後で、失敗を踏まえてまた何か試み)たと思うのです。

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