6.13.2006

смотря на луну/月を見ながら

Думаели ли вы о друге при луне? Ее нежний свет, возможно, вызовет воспоминание с другом дорогим и тысячи чувств теснятся в груди. Одни заметят расстояние между ними, другие пожелают извиниться за старые ошибки.
Предлагаю вашему внимание музыку о таких, и приятно и чуть горько, чувствах.

月の下で友を想う、皆さんはこういうご経験はおありですか。柔らかな光が大切な友との思い出を呼び覚まし、胸は思いで溢れる。ある人は互いの間の隔たりを思い、またある人はかつての過ちを申し訳なく思う。
快くもあり少し切ない、そんな想いの曲をご紹介します。

月下我想君/При луне думаю о тебе


На мелодии пьянофорте я сам нашел такое ощущение, как тепло деревянного сосуда или стула из ротанга.

ピアノの音の中に、木の器や藤の椅子が持つような、あたたかな手触りを感じました。


Эту создала г-жа 八乙女葦菜/ЯОТОМЭ Асина, которая опубликовала ее произведения на интернете (не знаю, на самом деле, разве ЯОТОМЭ-сан является женщиной или нет...).

この曲は八乙女葦菜さんが創られたものです。muzieでご自分の作品を公開なさってます(八乙女さんが女性なのかどうか、実は知りません…)。

(Та страница о-о-о-очень тяжела. Даже на ADSL со скоростью 40 м. требуется 40 секунд, пока страница не появилась!).

muzieの方はもんっっっのすご重いです。うちのADSLは40メガですがそれでも40秒はかかりました。

(個人サイト『抹茶む〜す』は、残念ながら、2006年6月14日をもって閉鎖されました。現在はブログを起点に活動なさってます)

9 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

なんか懐かしいー
昔、MIDIのコンテストでこういう曲調の曲がよく上位に来てました。
そのせいなのかなんなのか。
なんか聴き入ってしまいますね。

匿名 さんのコメント...

初めまして。

抹茶ムース様の楽曲は当方も利用させて頂いております。
とてもセンスや才能溢れる楽曲が多くて
どの曲も素敵だなと思っております。
こちらで紹介されているのを拝見してどうしても
書き込みせずにはいられませんでした…。

コーシカ さんのコメント...

>あつさん
 いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。「美しいものには無駄がない」を地で行く綺麗な曲ですね。お気に召したようで何よりです。
 某三国志サイトの影響で、この曲を耳にすると曹丕を連想してしまいます。

>あ〜やさん
 おぉ、わざわざのお運びありがとうございます。この曲と出会ったのも何を隠そうあ〜やさんのフラッシュからだったりします。『探索』に惹かれて他の曲も聴いてみましたが、ただ耳に心地よいだけでなく印象に残る曲が多いですね。
 拙い頁ではございますがまたお越し下さいませ。

匿名 さんのコメント...

丁寧にお返事ありがとうございます。
こちらの方こそ若輩者であります。

当方も以前どちらかのサイト様で公開されていた
FLASHの楽曲提供が抹茶ムース様で
あの方の楽曲に惚れてしまったのであります。
また機会がありましたら是非楽曲を
使わせて頂きたいなと常々思っております。

追伸:遅くなりましたがサイトの運営頑張って下さい。

匿名 さんのコメント...

1)видя луну
 日本語のテキストから判断して смотря на луну でしょう(「月が見えて」となれば話は別です)。смотреть на что は見ようと意識して見るということで、英語の look at に近い言い方です。一方 видеть は「見える」ということで意識してということではありません。ただ смотреть は意識して見ようとはするものの、対象が必ずしも見えていないということもありえます。видеть の場合は見えています。


Глаза смотрят, но не видят.
見ているようで見(え)ていない。

И она смотрела на него и не видела.
彼女は彼の方を見ているようで見ていなかった
(「視線を向ける」と「見て気がつく」の違い)

Я просто глазел, но не видел.
私はただ見てはいましたが、気がつきませんでした。

Он очень много видел, но почти ничего не "увидел".
彼はとても多くのものを見ていたが、ほとんど何も見つけることができなかった。


 これは слушать と слышать との関係においてもそうです。


Слушают, но не слышат.
耳を傾けてはいるが、中味を聞き取っていないということ。

2)想ったことがありますか?
 ロシア語の本文を和訳すると、「月下で友のことを想っていますか?」となり日本語の本文とずれてきます。これは経験を尋ねているわけで、英語では動詞の現在完了形を使いますが、ロシア語では単純に不完了体の過去を使えばよいのです。それゆえ Думали ли вы о друге под луной というのは確かに月の下でということですが、ロシア語では

ничто не вечно под луной.
天下に不朽たるものなし

というように使うのが普通です。
 それと月は луна ですが、天体としてみるとき、例えば月に宇宙飛行士が行くというときは Луна と大文字にすることはご存知だと思います。

3)胸を締め付ける
 私の知っている表現では、


Мысли одна другой мрачнее стеснились в душе его
ますます陰鬱に思いは彼の胸を締め付けた


というのがあります。

4)柔らかな光
 有名なモスクワを歌った歌 Москва майская(5月のモスクワ、Лебедев-Кумач 作詞)に、


Утро красит нежным светом
朝は柔らかな光に彩られる


というのがありました。

5)紹介します
 ここは決まり文句で、Предлагаю вашему вниманию стихи. となります(内容から歌の詩でしょうから、музыкуとするよりは、詩とするか песню だと思います)。

6)公開なさっている
 これはすでに公開しており、現在も続いているわけですから、不完了体の現在ではなく完了体の過去形です。опубликовалаでしょう。

7)音楽
 これを複数にはしないほうがいいと思います。

8)勝手に思っていますが
 ロシア語と訳がずれています。日本語の本文に準拠するなら、по-моему Яотомэ-сан – она, может - нет, но я не знаю.ぐらいでしょう。

9)Чтобы страница появилась
 пока страница не появиласьでしょう。

10)Эта легка
 Мой – леглвесен.ぐらいだと思います。эта (страница) ということは分かりますが、この場合、自分(つまり人間)を主体にしたほうがロシア語的です。軽いというのも легка では意味がとりにくいと思います。Тяжеловес というのは重量級ということですから、それを応用してみました。
 軽いがいいか、重い(想い)がいいかということは別にして、コーシュカさんのサイトはファンもついていることですから卑下することはないと思います(そのように取れます。まあ謙虚な気持ちからでしょうが)。

11)抹茶ムース
 мусс из порошк ового зеленого чая でどうでしょう?

以上  さとう

コーシカ さんのコメント...

>さとうさん
 コメントをありがとうございます。驚きと共に拝見しております。

>смотреть は意識して見ようとはするものの
>対象が必ずしも見えていないということもありえます
>видетьの場合は見えています。
 それぞれ「見る」「見える」で覚えてましたがそういう違いもあるんですか!貴重なご教示ありがとうございます。

>月
 месяц の方が本来のロシア語の「月」なんだそうですね。レールモントフの詩にラフマーニノフが曲を付けた『天使』でも

По небу полуночи
ангел летел,
и тихую песню он пел;
и месяц и звезды,
и тучи толпой внимали той песне святой
(ラフマーノフ『六つの合唱曲〜天使』より)

というくだりがありますね(ってこれくらいしか知りませんが…)。

それはさておき
 辞書を見ていますと при луне というのもあったんですが、これも「月あかりの下で」という意味で使われるのでしょうか。教えて下さい。

>胸を締め付ける
 これは、あんまり誉められた話やないんですが、講談社和露の表現を(露和で確認してから)そのまま使いました。さとうさんがご紹介くださった表現にも тесно が含まれていますね。これも「胸が一杯になる」と似たような考え方ですね。

>нежный свет
 あぁ、こんな綺麗でぴったり来る表現があるからロシア語はやめられん…

>Предлагаю вашему вниманию
 あれ、ラジオ日本のロシア語ニュースの前口上やん、と思ってしまいました。あれは決まり文句なんですか〜

>(музыкуとするよりは内容から歌の詩でしょうから、
>詩とするかпеснюだと思いますが)
 いえいえ。ほとんどピアノの独奏で人の声は一切入りません。静かな曲ですからさとうさんにもおすすめします。

>8)勝手に思っていますが
>ロシア語と訳がずれています。
 言いたいことは同じ、にしたつもりなんですが…ロシア語の部分は「実際、果たして八乙女さんが女の方なのか,そうでないのか知らない」という意味で書きました。

>по-моему Яотомэ-сан ? она, может - нет, но я не знаю.
 文のかたちを読み解くのに30秒ほどかかりました。ロシア人はこんなん耳だけで解るん…やろなぁ。もっと勉強します!

>пока страница не появиласьでしょう。
 なるほど、пока はこういう時にも使うんですね。意識して使ってみます。

>こっちは軽い
 これは八乙女さんの頁のことです。音楽を発表されている頁は記事にも書いた通り非常に重く、そこへのホームページである『抹茶む〜す』は比較的軽めのサイズでまとまっている、ということを念頭に書きました(大変ご多忙のようで、残念ながら私が記事を書いたまさにその日に頁を閉鎖されました)。しかしこの箇所についてコメントを頂いたということは、ご指摘のように読めてしまうということですね。他の表現を捻り出してみます。

>11)抹茶ムース
>мусс из порошкового зеленого чая
>でどうでしょう?
 まさかここまでコメントを頂けるとは!やっぱりロシア語でもムースなんですね。機会があればケーキ類も『おろしゃ風物詩』でご紹介下さい。ランポポーで甘いものと言えば『赤蝦夷風流譚』でご紹介の птичное молоко が印象的です;それもあるんかい!という商品名を付けるロシア人のセンスに脱帽です。

匿名 さんのコメント...

 岩波には確かに при лунеとあります。ただ他の露露辞典にも語結合辞典にもありません。ロシア人にとって月を愛でて、あるいは月明かりで芸術を楽しむということが一般的ではないからかも知れません。45000項目くらい和露で用例を持っていますがその中にもありません(自分で分からなかったり、これは良いと思う表現をストックしています。つまり基本的な単語や表現は用例には入れていません)。ただ под луной よりは при луне の方がよいとは思います。
 今は仕方がありませんが和露辞典に頼るのはよくありません。私が和露を信用しないのは必要な用例がないことが多く、あってもロシア人から意味は分かるがそうは言わないと言われたことが、若い頃から度々あったからです。和露辞典をどう編纂しているの知りませんが、私の勘では、国語辞典を主体に項目を選び、それを日本 人が露訳し、それをロシア人にチェックさせているのかもしれません。それでないと、単語は別にして、あれほど人工的な(説明的な)言い回しが出てくるとは思いません。また辞書の訳は文脈に依存しない一般的(良く言えば本質を狙った)訳に終始しがちです。和露なら、プロの翻訳者も編集に参画しているコンサイスがまだましです。収録されている単語の「バラツキ разброс」などは実際にシンポジウムなどでも使われます。ただコンサイスは編集思想が嫌いなので買いませんが(露和など基本的に携帯重視なので語数が10万語と不足です。辞書は持ち運びできぬくらい重くとも必要な単語が収録されていなくては意味がありません)。
 とにかくロシア語の本 を精読して、自分で語感を高め、和露でも、露和でも自分の用例集を作ることを勧めます。自分で読んでいれば前後の文脈も分かり、そういうコンテキストであればこういう風になるということが分かります。そういう積み重ねで語彙を増やしていかないと、単語を右から左に訳すのでよしとしているうちは、実戦で使えるレベルへの進歩はありません。   

以上   さとう

匿名 さんのコメント...

今日 Есенин を読んでいたら、


При луне хороша одна
При солнце зовет другая
Не пойму я, с какого вина
Захмелела душа малодая

月が照っても、陽が上りても
美女次々と我を呼ぶ
何の酒にて酔いしかは
若き心は知らねども


という詩を見つけました。他にも


под лунной порошею
月に新雪映えて


という表現もありました。

以上  さとう

コーシカ さんのコメント...

>さとうさん
 さらなる叱咤激励のお言葉、表現のご紹介、ありがとうございます。

 同じものを見ながら、日本語からロシア語に変換するのでなく、ロシア人ならどう表現するかを覚えておいてそれを再現してみる、そのためにたくさんのロシア語に触れてそれら表現を自分のものにする。ロシア語学習の環境は広くないとはいえ、かつてないほどに恵まれているようですからそれを活用しない手はないですね。