7.15.2017

爺さまと酒

祖父は父方も母方も酒好きでした。父は酒で暴れる祖父を見て育った上に呑めない体質なので、僕がくいくい呑むとすごく心配します。父は祖父とのやりとりというかバトルを通じて「人の話は正確に精密に聴かんといかん!」と常々言っている人です。いわば、ことばで精密なスケッチを描く人(または話のくどい人)です。その父を通じて聞く祖父は、今にして思えば、酒でも喰らって暴れたくなるような状況に日々直面していたのだろうと思います。
母方の祖父は、医者に酒を控えるように言われたからビールを飲むようにした!というような人で、たばこも多少はたしなみつつ、結局100歳のお祝いをしてもらって大往生しました。
こういう遺伝子がそこそこに交じり合ってしまうと、本人も、たぶん周りも大変です(笑)。

5.09.2017

備忘録:一番苦しいこと、生きているということ

1 一番苦しいこと
(1)人間にとって一番苦しいことは、物理的な痛みとかではなく、心が、感性が通じ合わないこと、それも物理的に近くにいる(いなければならない)人と間でそういう状況に陥ることではないか。
(2)うちの父は、「そういう人間を相手にしないといけない時は、あぁ人間というのはこれほどダメになり得るのか、この人はそれを身をもって示してくれているのだと思うようにすればよい」と言ってくれた。

2 痛み(物理)への耐性
(1)食べものを絶たれても、人間はしばらくもつ。モーセとかエリヤとかイエス・キリストとかブッダとか。まぁこういうのは極めて特殊な例外としても、物理的な衝撃に対しては、生体がバランスを崩さないように巧く設計されている。
(2)例えば極端な負傷の場合、電気で言う遮断機(ブレーカ)が落ちたような状態になって、脳は痛みを感じなくなる。手や足を失ってしまうような大怪我をした人に話を聞くと、失った瞬間もその後も、死ぬほど痛いということはなく、しばらくしてからじわじわ痛みはくるものの、泣き叫ぶような性質のものではないらしい。

3 痛み(精神)の作用の仕方
(1)では精神的な衝撃に対してはどうかというと、恐らく、先ず感性が鈍くなる(たぶん、電気回路の遮断のような予防措置が心でも生じているのだと思う)。鈍い感性では繊細な動きを感じられなくなるので、感動がなくなる。ユーモアは、繊細さを感じる余裕に裏打ちされた感性があればこそ発信もできれば笑うことも出来るものだと思うので、感動がなくなればユーモアもなくなる。
(2)こうした感覚が摩滅した例として、梶井基次郎『檸檬』の出だしには、蓄音機を聴きに出かけても最初の23小節でアウトといった一節や、ラストちょい前にも、丸善に入ってもちっとも面白くない…という描写がある。谷崎潤一郎の『秘密』のラストの、秘密なんてぬるいものではなくもっと毒々しいものを!となってしまった…的な描写も例に挙げられると思う。
(3)ただ、最初に鈍くなる感性というやつも曲者で、これはある意味、それまでどれほど感性豊かな体験をしてきたか、どういう感性の人とつきあって「面白い!」を磨いてきたか、そういう積み上げというか教養というか間口の広さのような面もあるように思うので、相手によっては100%の状態で既に感性が鈍い、ということも十分あり得てしまう。そうなると端からおはなしにならない。

4 身体だけ生きている状態
(1)感動がなくユーモアがなくなると人間は生きていけないかというと、とりあえず身体は死なない。栄養がそこそこ行き渡って神経も循環器も免疫などなども元気で、生体をそこそこ再生して維持できる状態なら、とりあえず身体は死なない。
(2)ただ、その状態でもおまんまを頂く必要があり、食い扶持を稼ぐためには何らかの仕事をしなければならないわけで、結果、そういう感動もユーモアもない奴に付き合わないといけないかわいそうな人が発生してしまう。向こうも同じく無感動ユーモア欠落症なら差し引きトントンで大して問題ではないけど、片やユーモア欠落、片や感性しっかりだと後者は辛い。

5 身も心も生きるための錨
(1)ここで、生きているとはどういう状態かと考えてみる。聖書には、人はパンだけによって生きるのではないという言葉があり(申命記8:3)、これは大事なことなので少なくとも3回は言われている(マタイ4:10;ルカ4:4)。また、人がどうやって創られたかの記述も面白い。人は「神のかたち」という設計コンセプトで(創世記1:26,27)、まず文字どおりの人の形に土をこしらえ、その後に神が息吹を吹き込んでやっと人になっている(創世記2:7)。人が人として一人前になるには、身体だけでは不十分で、相応の魂、感性があってこそ人として生きていると言える。それを忘れないように、と聖書(に限らず宗教や道徳の類)は戒めてくれているのだと思う。
(2)身体だけ生きているとどうなるのかについても、聖書にはえげつないスケッチがいっぱいある。形だけの信心など無益という戒めは、ぱっと思いついただけでも、イザヤ1:11-17、ヨエル2:13、アモス6:25、ミカ6:8、マタイ23章、ヤコブ2章などなど数知れず。これはもう「生きているとの名は持っているが、実は死んでいる」(啓示3:1)という状態。
(3)イエス・キリストは、一番大事なのは心、思い、魂を込めた信心だ!(マタイ22:37)を切り口に、人間が身体だけではなく本当の意味で生きているとはどういうことなのかを基本設計まで遡って、でもシンプルに考えましょうという提案をしたのだと思う(マタイ22:40;ルカ10:42)。

4.28.2017

Хлеб в Японии

Хлеб тоже распространен в Японии. Рецепт хлеба был принесен к стране из Великобритании в конце XIX века. Тогда эти продукты были приготовлены в общем для англичан. После Второй мировой войны хлеб становится народной едой.
Это дальневосточное государство прилагало сумасушедшее усилие к бою с США. Буквально со всем, что у нас было. В конце концов ничего не осталось после поражения. Даже продовольствий. Американская оккупационная администрация работала над восстановлением Японии с идеей "New deal", похожими на советский подходами. В рамках их борьбы с недостатком питания были предоставлены школьникам хлеб и обезжированное молоко. Кстати, мои родители родились в 1950 году и отоносятся к этим поколению. По их словам хлеб был не очень но можно кушать, а вкус молока был ужасным...
Со временем хлеб распространился по всей Японии. Кобэ является одним из крупнейших городов страны. Тамошние горажане горячо любят завтрак с толстым, мягким и ароматным хлебом.
Японский хлеб в основном пшеничный. Жителям этого архиперага нравится кушать мягкий как зефир либо губку хлеб. Покупать серый и остальные виды хлебы в стране требуется большого труда. Разные булочки тоже популярны.

A Russian word "mazut (fuel oil)" is derived from Arabic "makhzulat"

重油とお砂糖。実はどっちもアラビア語とは浅からぬ縁?

1) Does a Russian word "mazut (fuel oil)" have Arabic origin? Yes. It is derived from Arabic word "makhzulat (disposal or residual matter)" through Turkish "mazot" in the end of XIX century. Maybe, it came into Russian language through Azerbaijan.
2) Does a Russian word "sakhar" have Arabic origin as well? No. It is derived from ancient Indian root "sakkhara (sand)" through ancient Greek "sakcharon" and through Latin "saccharum". However, there is an Arabic word "sahra (desert)". It could have connection with ancient Indian "sakkhara"...

1 重油 fuel oil or heavy fuel oil
(1)出発点:和英辞典とかで「重油」を引くとheavy oilとか出たりするけど、絶対嘘やろ。そもそも英語に日本で言う「重油」という発想はあるんかいな。
(2)結論:英語にそんな発想はない(とはいえ0でもないみたいですが…)。英語で重油はfuel oilまたはheavy fuel oil。日本語の重油の「重」は重さのことではなく、粘度がはなはだしいの意味の「重」。
(3)アラビア語との関係:ロシア語で重油を意味するмазутは、アラビア語makhzulat(廃物、残留物)が起原。トルコ語mazotを経由して19世紀末にロシア語に入った(ちゅうことは、♪じゃんじゃんじゃんアゼルバイジャンを経由して入ってきたのかも)。
(重油について詳しくは、さとうさん2010年9月20日付投稿で分かりやすくまとめてくださってます)
2 お砂糖 sugar
(1)出発点:英語に限らず各国語ともskrとかzkrとかshrとか、調音位置がえらい似とる気がするけど…
(2)結論:古代インド起源(sakkhara:砂)でした!その後、ギリシア語sakcharon、ラテン語saccharumを経てロシア語сахар(sakhar)として入ったようです。
(3)アラビア語との関係:ロシア語からは裏付けられず。しかしロシア語にсахарный песок(sakharny pesok:グラニュー糖)という言い方があり、これを無理に英訳するとsugar sandと、わざわざ「砂」をくっつけた言い方があります。一方、アラビア語で砂漠はsahraだったような気が。実はこの語はインドからお嫁に来たんかな…

4.27.2017

How Japanese felt in sweet love with Jam

Все началось с этих слов: "Ой, а в Японии есть варенье?"


Как Японцам понравилось варенье

В конце XIX века в Японии произошел поворот и закончилась эра фейдализма самурая (сиогунат). Новая власть во главе императора ставила Европу в пример для модернизации государствых структур, в частности вооруженных сил.
Уже во втором десятилетии ХХ века жизнью по европейскому стилю в том числе западной кухне пользовались не только высокие чиновники или офицеры но и обычные горожане. На таком фоне хлеб и варенье распространились на столе страны восходящего солцна.
После Второй мировой войны правители Японии работали над повышению уровни жизни народа по всей стране, подражая америке в демократии и европе (и иногда Советскому союзу) в политике социальной сферы. Поэтому образ жизни Японии становится похожим на западный все более и более даже в районах.
Теперь японцы наслаждаются широким видом варенья с традиционного земляничного до разнообразных малиновых. Эта сладость подается не только со хлебом но и с йогуртом. Немало повары используют джем как важный элемент для соуса.
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Today I and my friend talk about cold (as sickness) and tea with honey or jam is helpful to heel. Suddenly she replied: "Wow, are jams not locally popular products in eastern Europe?" With this phrase I was interested in history of Jam in Japan so I read some contents on Internet about this theme.


How Japanese felt in sweet love with Jam

In second half of XIX century in Japan occurred coup and rulership by Samurai warriors (Shogunate) was over. New emperor-headed-government took Europe as a model for modernisation of state structure especially armed forces.
As time passes, western life style was not to be limited for high society. It became for ordinary Japanese who live in city from the 1910s. In this context bread with jam gradually became popular.
After WWII Japanese leaders struggled to improve quality of life all over the country, imitating US in democracy, and Europe (sometimes the Soviet Union as well) in social policy. So life style in Japan changed to be similar to western countries more and more even in countryside.
Now Japanese enjoy wide range of jam from traditional strawberry to blueberry, raspberry and so on. These fruit products are served not only with bread but also with yogurt. A lot of cooks uses jams to make delicious sources.

http://www.sudo-jam.co.jp/tokusyu/history-001.html
https://sugar.alic.go.jp/japan/shiten/shiten0909a.htm

4.26.2017

パイプオルガンのコンサートにお呼ばれしました



暗きより天を仰ぎ、たか(貴)きことを想い、まばゆきことに憧る。
パイプオルガンのコンサートにお呼ばれしました。曲にじっと聴き入りながらも、この楽器はどういう発想で必要とされて造られたんやろ、といったことを考えておりました。世間のあれこれで揉まれ、疲れ、俯き、そういう暗がりの中にあっても、「ああ、世の中には良いこと、素晴らしいこと、心が震えることがやっぱり本当にあるんやなぁ」という確信に満ちた希望を持てるようにすること。これが宗教の本来の役割なんやろなぁ。そない言うたらパスカルの「パンセ」にも、人間は先にしっかりした希望があったらどんな苦痛でも平気で乗り越えてゆく的なことが書いてあったなあ。そやから「魂の錨」(ヘブライ人への手紙6:19)なんか、うまいこと言うなあ…と、穏やかな心で想うことができました。

4.18.2017

備忘録:自分は正しい!、ことばは独り歩きして力を持つ

 自分はうそつきである、自分の内に悪があるとの自覚を欠く行動が最も腹立たしい。神を殺したその後の世代(神は死んだ、マルクス的な意味での無神論:神などいらなくなる)。恐れのない世代、自分は正しい、自分が間違っている可能性を配慮しつつ行動しない。
 「人は皆うそつきだ」(詩編116:3)と言った時、ダビデが自分も含めてそう言ったのなら実に興味深い(発言の瞬間はたぶん違うと思うけど、発言者が発言者だけに、いつかその自覚は持った可能性はありそう)。だから贖いや他力本願といったものが必要になる。
 自分のうちに悪があるとの自覚=恐れを常に持つべき→こういう意味での錨。錨としての宗教や神を取り除いてしまった世界というのは、一見自由なようで、錨も舵も帆も取り去った船のごとし。内海で波風もなく、船体がニミッツ級空母とかタンカーなみに大きければ一見なんともないが、内海でも何らかの流れはあるわけで(明石海峡とか鳴門海峡だって内海ですよ)実際には制御できずに流されているだけ。いやいや、自分たちにはオールがあると屁理屈を言ってみたところで、やはりオールだけでは外洋の大波を越えられない(オールで動かせるガレー船にしたって、本来は内海での使用を想定したもので帆だって備えていたはず)。
 「かつて信仰は地上にあった」と書いた萩原朔太郎は、物質に目が眩んで霊的なもの心の世界を忘れた人間を憂えたものかどうかは知らない。そうでないとしても、ことばは独り歩きして、それ自体が受け手に影響力を持つ。「人は皆うそつきだ」にしても「かつて信仰は地上にあった」にしても、たぶん僕が考えているような意味で両者はこのことばを発信してしないはず。それでも、この2つのことばが僕の記憶にあって、考えるきっかけ、感じるための種(←ヨコハマ買い出し紀行)をくれた。その意味で、それぞれのことばには力がある。発話者の口を離れた時点で、ことばそのものが力を持つ。この不思議な力のことも含め、昔の人は言霊と名づけて自戒としたのかもしれない。

4.13.2017

動き出すために錨を上げ、立ち止まるために錨を降ろす

(これは、みよしひろきさんがご自分のフェイスブックで投稿されたひとこと「暴力の連鎖、何とか止められないものでしょうか?」に対してコメントしたその続きです)

1 みよしひろゆきさんによる問題提起(2017年4月10日
(「エジプト非常事態宣言へ 教会爆破、IS襲撃予告を警戒」と題する朝日新聞へのリンクを張りつつ)
 ロンドン、スウェーデン、ロシア、エジプト、世界中でテロが続きますね。シリアはシリアで、トマホーク打ち込まれてしまいましたし。暴力の連鎖、何とか止められないものでしょうか?

2 みよしひろゆきさんの投稿に対するコーシカのコメント2017年4月13日
 誰もが立ち止まって少し考えてみる、ということに尽きると思います。ことばも育ちも文化も全然違うにしても、地球という向こう三軒両隣で、時に鬱陶しい、鼻面に一発食らわせてやりたい相手もいる中で、どうやってつかみ合いの喧嘩にせずに上手くやっていくか。これを11人が意識すること、自分の一挙手一投足があるいは世界の趨勢にさえ影響しているかもしれないという畏れを意識して生きること。そういう意識と覚悟を持って生きる気概があるかどうか、そこが問題だと思います。

3 その続き(2017年4月13日)
(まずは聖書から引用)
 どうして兄弟に、「あなたの目からわらを抜き取らせてください」と言えるのですか。しかも、ご覧なさい、自分の目の中には垂木があるのです。偽善者よ!まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば、兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう。(マタイによる書7:4,5
(ここから本文)
(1)意識、畏れといったものは、宗教本来の役どころのはずなのですが。あいつはどうしようもないバカだが、俺もたいがいだな…と、自らの弱さ、どちらさんも心の内には悪があるんよという事実に目を向けさせるのが本来の姿のはず。
(2)たとえばキリスト教なら、神様、自分はどうしようもない弱い奴であなたの設計どおりにはとても機能できてないですけど真人間になりたいです、どうかお宅の息子さんに免じて見捨てないでください(あがない)となり、浄土真宗なら、自分はダメだとわかってりゃこその阿弥陀さまにどこまでもついてきますよ(悪人正機)となり、禅宗なら、心の内にあるくだらない考えをすっ飛ばすために座禅を組み、イスラームやユダヤ教なら、しょうもない自分でも少しでもまともになれるよう、ムハンマドやモーセやラビが遺してくれたルールを守る…などなど。意志が弱くてふらふらしている自分に向き合い、錨をつけるというのが本来の姿のはず(ヘブライ人への手紙6:19)。
(3)錨→束縛と短絡する人もいますけど、船は錨を巻き上げながら出航して、目的の港で確実に停泊するために錨を降ろすわけで、やっぱり捨ててはいけないものだと思います(ヘブライ人への手紙11:1,27)。
(4)ただし、宗教とか信心は何のためにあるのか、そこは立ち止まってよく考える必要もあります。マルクスの言うようにアヘンですから、用法用量を分かって使わないと、エラいことになります。正しく使えれば、痛みで絶望している末期がんの患者さんに生きる希望を与えるものともなり、ちょっと間違うと溺れて身も心もボロボロ…これは劇薬で、どういう風に作用するのか、どんな副作用があり得るのか。そういう意味では、お酒との付き合い方と似ている気がします。先輩の失敗談を見聞きしつつ、自分も下手を撃ちつつ、自分なりの距離感を見つけてゆく。油断はできないものの、それほど難しいことでもないと思います。