7.04.2006

秩序 ─ ソ連国民がスターリンに求めたもの

はじめにお詫びします:
腹立ちまぎれに書いてますのでメチャメチャな文章です。読んでも大して面白くないですよ。


 不愉快なものを見ました。警察が原付の交通違反を取り締まっていたのですが、そのやり口に頭にきています。特に喧しくもない(といってもノーヘルか中学生辺りが乗ってると思われる)原付にそ〜っと近付いて、いきなり赤色灯を点けてサイレンを鳴らし、しばらく追いかける。原付には振り切るだけの力も技術もあるはずがなく、パトカーも別に捕まえてどうこうしようという素振りは微塵もないように見受けられました。まあ、たいがいにせえよという意思表示なのでしょうが、僕には弱いものいじめに見えます。
 深夜にも拘わらず街の福祉を気遣うその職務に携わって下さっていること自体にはもちろん頭が上がりません。それでも ─ とあえて言います ─ あんなことにガソリンを使うのであれば、暴走族など広く深く有害なものに対してもっと強く出てもらいたいものです;警察には装甲車も催涙弾も放水銃だってあるでしょう。
 ところが実際に警察がそんなことをやるとまず間違いなくマスコミに叩かれます。「国家権力による暴力」とか「警察国家化へ警鐘;知識人◯人のアピール」といった”清く正しい”世論によって骨の髄までえぐられることでしょう。警察官ひとりひとりが陰に日に、秩序維持に日夜どれほど心を砕いているかといったことは針の先ほどにも取り上げられることもなく!

 さて、ここで事例をひとつ。ある国では皇帝の支配が次第に圧政的になってゆき、革命が起こりました。革命政府は「無理強いをするから人は悪くなるのだ」という発想のもと、警察や鉄道、工場長から教師に至るまで、ありとあらゆる権威を否定しました。どうなったかはお察しの通り。数年を待たずして革命党は手のひらを返し、統制が強められました。それでも一度緩んだ空気はそう簡単にはピリッとはしてくれません。革命家たちも手詰まりを気にするでもなく、革命の未来はどうあるべきか、と未来への理念ばかりを論じ合っていました。
 一般民衆にとって革命家のことばは魔法使いの呪文。彼らの言う”りそうきょう”というものも「なんか良さそう」という程度にしかわかりません。彼らにとってはそんな絵に描いた餅よりも、食べられるパンの方がよほど切実な問題でした。革命党には民衆出身の者も多くいましたが彼らとてやはり指導者たちの言っていることはよく分りません。そんなでしたから、革命とはどういうものかをわかりやすく示してくれるリーダーに人気が集まるのも無理はありません。彼は裏方として革命後の党の屋台骨を支えて来ました ─ その名をスターリンといいます。

 あたりまえのことがあたりまえの社会を ─ ただそれだけをロシアの民はスターリンにまず求めたのではないでしょうか(そんなささやかな思いがどこでどう狂ってあの血も凍るような時代へと進んでいったのかについてはいまだ論争の最中です。あるいは望蜀ということかもしれませんね)。小泉首相は強引さが批判される一方で多くの支持を集めてもいます。われわれ日本人も強力なカリスマを、淀んだ社会の風通しを良くしてくれる個人を求めていると言ってよいでしょう。でもそれにすべてを肩代わりしてもらいたいと感じるほど頼ってはいけません。スターリンが命を吹き込んだ支配機構がどれほどの血を求めて来たか、スターリン自身を含めその頂点に座していた人々がどれほどの孤独のうちに死んでいったか。ソ連の歴史は、人は自ら持つ自由という権利を何者にも侵させてはならず、自分はなぜ、またいかに生きるのかを見定める義務を全うすべきであることを、もっとも悲しい仕方で教えてくれているような気がしてなりません。
 自らの自由な権利を主張するのはまことに結構ではあります。しかし自由は他の人の自由をも尊重する仕方でこそ行使されるべきであり、そのためにも各人は、この世界に自分が存在する意義は何かを見定め、自らの能力を惜しみなく用いて他の人に貢献する義務を果たすことに努める必要があります。

 要するに何が言いたいん?
 警察はああいう姑息な真似なんかせんと堂々と犯罪を取り締まってくれい、あとマスコミも警察が盛大に職務を果たしたから言うてそれにいちゃもんばっかつけんといてくれい(イスラエル軍ほど派手にやっとるならともかく)、それぞれの社会での役割を見極めてやな、できることを精一杯やって、その働きに互いに感謝を表すくらいの余裕を持とうや!ということです。

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